1977年10月に先代の森永敏夫が光市で会計事務所(公認会計士・税理士事務所)を開設してから46年を経て、2023年10月1日に事業承継しました。親子とは言え、職業会計人としてのスタイルが似ているのか、それとも異なるのか全く分かりませんが、私自身は、自分のやるべきことを日々積み重ねることで関与先の皆様のニーズに応えていきたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。
1999年4月に進学を機に上京しました。元々、進路選択の過程で公認会計士を志していたこともあり、入学して早々に簿記の資格を取得するべく勉強を始めました。ただ、今思えば勉強した気になっていただけで、本当の意味で習熟とは程遠かったと思います。事実、入学して数ヶ月後に受けた日商簿記3級と2級の試験は、3級に合格したものの、2級は不合格でした。周囲の多くは2級まで合格していたので、情けなさや悔しさが押し寄せたことを覚えています。それでも勉強への集中力が上がることはなく、その後も学生生活と資格試験の勉強との間でどっちつかずの中途半端な時間を長く過ごしていました。もちろん、その間に受けた日商簿記1級も不合格でしたが、最終的に会計士試験に合格すれば問題ないという当時の自分から見ると絵空事を浮かべていました。ただ時間が過ぎる中で、大学3年生の夏に初めて公認会計士試験(旧2次試験)を受験しました。ここで書くことすら憚られますが、全く手応えがなく文字通り記念受験になりました。自分自身の勉強量が圧倒的に足りなかったことは受け止めるとしても、一緒に勉強をした仲間の一人がいわゆる一発合格を果たしたことに心の底から羨ましさを感じました。今でも交流を続ける損得関係のない友人ですが、あの時は羨望の気持ちを自分自身で整理して消化することにかなりの時間を要したと思います。いよいよ自分も性根を据えてやらねばと思い、そこからは自分でも見違えるほどに勉強に向き合いました。朝から夜中まで電車の中でも右手は吊り革を持ち、左手で辞書のような参考書を開き頭の中に焼き付けようと反芻する毎日を過ごしました。
合格発表を待つ時期に訪れた夜の浜名湖にて
平成15年10月7日付官報公告による合格者一覧
1年間そのような日々を過ごして大学4年生の夏に受けた2回目の試験でも不合格となりましたが、不思議と次はいける気がするという思いが悔しさを上回っていました。この時はすぐに気持ちを切り替えてリスタートし、これまで以上に勉強量を積み重ねました。もっと要領良くできたかもしれませんが、当時はひたすらに量をこなすことが最善だと思いこんでいたのだと思います。大学を卒業した2003年夏の試験で晴れて合格(いわゆる卒一合格)した訳ですが、人生で最も勉強したであろう1年間を経て、各専門学校の出した解答速報を見てほぼ大丈夫だろうと思えるまでになっていました。合格発表当日のことは今でも鮮明に覚えています。朝早くに電車で発表会場まで行き、多少の自信はあったものの、やはり緊張しつつ貼りだされた掲示板に自分の受験番号『5355』を見た時には「すべてが報われた」という嬉しさと「やっと終わった」という安堵感が込み上げてきました。本当の試練がこれから始まるとは露知らず…。自身としては2度の不合格を経て、順風満帆な受験生活だったとはとても思えませんが、覚悟を決めて向き合うことの大切さを時間と体力があり余る二十歳前後のこの時期に身をもって学べたことは後々にも役立つ大きな経験だったと思います。
2003年10月に当時は国内四大監査法人の一つとされた監査法人トーマツ(現有限責任監査法人トーマツ)に入所しました。数千人の公認会計士が在籍している事務所でしたが、ここに6年間在籍し、会計士という職業を通じて様々な人との出会いがあり、また、会計士を通じて様々な知識を得ましたが、それら全てが今の自分に繋がっていて、もし今自身の人生を一度振り返るとすれば、間違いなくこの6年間は自分の仕事のスタイルとなる原型を形作るうえで必要不可欠だっただろうと思います。公認会計士の仕事の一つに監査という分野があります。企業が作成する財務諸表(簡単に言えば決算書)が適正かどうかを様々な角度から検証していくのですが、これが非常に奥深い。財務情報のみならず、非財務情報も併せて数字の良し悪しを分析し、一定の結論を得なければなりません。いわゆる新人と呼ばれる時期は、試験に合格しても基本的な知識があるだけで、実務の現場では役に立たず、言われるがまま、それでも不十分だと指摘を受けてやり直すという作業の繰り返しでした。また、新人でも社会的には有資格者と見られるため、上司もまったく甘やかすことはなく、監査はチームで動くことが多いのですが、難題でも「自分で考えて期限までに結論を出せ」と言われて一人での解決を求められました。これが本当に精神的にも追い詰められることが多く、繁忙期で複数の業務が重なれば当然休みもなく、真夜中まで作業することが日常茶飯事と化していましたが、そんな過酷とも言える環境下で、5月の大型連休に出勤して一緒に作業をしていたある上司からこんな言葉を投げかけられました。ちなみに、その上司は当時所属していた部署の中でも特に要求レベルが高く、厳しい人として四天王と呼ばれたうちの一人でした。曰く、「世の中は連休で楽しそうだなって思うでしょう。でも、世間は世間、我々は我々。今やるべきことを積み重ねる以外にはないから。難題こそ常に冷静に。そして、会計士冥利につきると思うべきだよ。時が解決するしね。」と…。
後年、監査法人内部でのステップアップに連れて、受験生時代にも経験したことのない、吐き気を感じる重圧のある仕事を任されて、どうにか体良く逃れたいと思ったこともありましたが、「会計士冥利につきる」という言葉にギリギリで支えられたように思います。同時に、「時が解決する」という精神安定剤となる言葉も相まって、良く言えば冷静に、悪く言えば感情がなく物事に向き合う人間になって今日に至っている気がします。
2009年9月から光市に戻り、公認会計士としての業務を行いながらも、その主戦場は税理士業務となりました。会計士も税理士も一般的には隣接分野で似た者と理解されている節もありますが、両者は全く異なります。自分自身、税理士としては一切の経験も無くゼロスタートを切ったことになりますが、これまでのところ、疑問点はその都度調べては答えを出すといった出たとこ勝負で14年の年数を重ねてきました。お世辞にもスマートなスタイルとは言えませんが、会計士としてのキャリアを踏み出して以来20年ずっと変わることなくやってきたスタイルです。時が解決するという心の拠り所を携え、常に冷静に、そして会計士(税理士)冥利につきるという原点はこれからも変わらないでしょう。また、経営者の皆様には「将来計画を…」という話をすることもありますが、自分自身は、長期的な目標や計画を立て、そこに向かって進んでいくタイプではありません。どちらかと言えば、一年一年、もっと言えば、一日一日やるべきことを積み重ねているに過ぎません。これから先、関与先の会計をお預かりし、自分の事務所経営までも考えなくてはならない立場になりました。綺麗事だけでは成立しない多難な世の中にあって、私利私欲が無いと言えば嘘になります。会計(お金)という、ある種の人間の業の深さにも絡む分野に携わる身として、TKCの理念にある「自利利他」を徹底して実践している優等生でもなく、本当に関与先のニーズを満たせているのか否か自分の弱さにばかり向き合わされる日々でもあります。まだまだ人間力は未熟ですが、これから先、誰からも干渉されることなく、独立した専門家として自らのスタイルで職能と倫理感を磨き続けていきたいと思っています。
公認会計士法第1条、税理士法第1条に記された使命を果たすために。
公認会計士は、監査及び会計の専門家として、独立した立場において、財務書類その他の財務に関する情報の信頼性を確保することにより、会社等の公正な事業活動、投資者及び債権者の保護等を図り、もつて国民経済の健全な発展に寄与することを使命とする。
税理士は、税務に関する専門家として、独立した公正な立場において、申告納税制度の理念にそつて、納税義務者の信頼にこたえ、租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現を図ることを使命とする。
生年月日:1981年2月13日
2003年3月 | 中央大学商学部会計学科卒業 |
2003年10月 | 会計士補登録(旧会計士二次試験合格) |
2003年10月 | 監査法人トーマツ(現有限責任監査法人トーマツ)東京事務所入所 |
2007年6月 | 公認会計士登録(公認会計士登録番号:21520 ) |
2009年8月 | 監査法人トーマツ退所 |
2009年9月 | 有限会社森永会計センター入所 |
2009年11月 | 税理士登録(税理士登録番号:114954) |
2023年10月 | 事業承継(公認会計士・税理士森永晃仁事務所を開設) 有限会社森永会計センター代表取締役へ就任 |
趣味:読書、靴磨き、ジョギング
当事務所は、会計業務・税務申告に係る経営者の皆様の悩みを解決するために、これまで蓄積したノウハウを生かして全力で支援を行います。
また、社会福祉事業や医業等非営利法人の会計・税務にも的確にお応えします。
生年月日:1946年4月2日
1975年10月 | 公認会計士登録 |
1976年7月 | 税理士登録 |
1977年10月 | 公認会計士・税理士森永敏夫事務所開設 |
1989年4月 | 有限会社森永会計センター設立 |
1991年9月 | 医業経営コンサルタント登録 |
2023年10月 | 事業承継 有限会社森永会計センター会長へ就任 |
趣味:神社・古寺めぐり、花木鑑賞めぐり、旅行